自分のルーツを辿り再確認するランニング旅(大学入学~2年途中編)
今回の記事は通っていた大学と住んでいた家・町までランニングで向かい、そして巡り、自分のルーツを再確認する私的回顧録となります。懐かしさにひたり、昔を悔恨するという何の役にも立たない個人的なポストになりますので、興味がおありの方だけどうぞ。
プロローグ「発端」
昨年の夏休みは地元の同窓会に合わせて、走ってどこまで帰れるかという企画をやった。
そして2020夏。世はコロナウィルスが蔓延。高齢の父母・祖父に移すまじ、と本年の帰郷を自粛することにした。
いや帰省に限らず、旅行自体が自粛ムードである。昨年のようなランニング旅も難しい。
ということで思いついたのが、「自分のルーツをランニングで巡る」。
ならば、通っていた大学と住んでいた家がどうなっているのか?走って向かい、思い出の地を巡り、そして八王子の銭湯に入る、という日帰りランニング旅をしよう。
そうと決まれば、僕は着替えと入浴道具をsalomonのTrailBlazer20(1世代前)に詰め、日焼け・熱射病対策を施し、自宅を出た。
ちなみに、今日履き下ろしのNIKEズーム ライバル フライ 2のチェックも兼ねて。
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走って母校へ向かう
正午前に自宅から尻手黒川道路へ出た僕は、新百合ヶ丘方面へと走り続けた。
8月中旬の真昼間、気温は35度。蒸しかえる高温サウナの中、死なないよう(これ大事)、適宜休憩をとりながら走ることにした。
コロナ感染拡大防止のため、今年は横浜市も川崎市も市民プールは営業中止が多い。そんな中営業しているプールでは、ヨネッティー王禅寺のように事前予約制や人数制限を施している。子どもたちには不憫な夏だ。
ここでトイレ(小)をすまし、冷感タオルを濡らし(熱中症対策)、ポカリ(150円)を購入し、しばらく体の火照りをとった。
ヨネッティー王禅寺を後にし、新百合ヶ丘駅へと向かう。
新百合ヶ丘駅からは多摩方面へ抜ける平尾中央通りを平尾方面へ。
暑くて炭酸が飲みたくなり、2回目の休憩。
大容量なのはありがたいが、赤はあ・ま・い! 口中があまったるくなってしまった(汗)
この辺り(稲城市平尾4丁目周辺)は山のてっぺんあたりで新興住宅エリアなのか、きれいな戸建てが連なり、道路もキレイ。
でもキレイなのは上平尾トンネルを抜けるまで。トンネルを抜けたら左手に曲がって、中学校沿いに旧道みたいな道路を走って下ったな、前に来たときは・・・。
道ができとる!!
トンネルを抜けたら坂浜平尾線という新しい道路ができていた。京王相模原線をくぐり、坂を下る。
若葉台の連立するマンション群を潜り抜ける。多摩ニュータウンやー。そしてまた登り坂だ。
そういえば以前ここを走ったとき、コーチャンフォー若葉台かヤマダ電機へ入る駐車場前にいた警備員のおじちゃんが面白かったな。 松崎しげるみたいな濃いめの顔立ちで、日焼けした真っ黒な肌(まさに松崎しげる)の人で苦しそうに登り坂を駆け上る僕に、
おじちゃん「ファイトですよー!!!」 (右手はガッツポーズで)
24時間テレビのマラソンランナー気分になった。ZARDの「負けないで」が流れた。
そのおじちゃん、いるかなー?と思ったけど、いなかった。残念。そして駐車場に入る車に轢かれそうになった、ゴルァ!
小田急・京王相模原線を左手に望みながら今度は坂を下る。セブンで3回目の休憩だ。
だいぶ体温が上がって体が動かなくなっていたので冷却しようとアイスでも・・・、と思いセブンに入ったらICE BOXが90円だったので、レモン炭酸水と一緒に購入。
なんでかって!?
ICE BOXをカップ代わりに、炭酸水を入れて飲むのさ!!
スポドリの炭酸みたいになって、水分ミネラル補給&炭酸で爽快リフレッシュ&余った氷で冷却、と一石三鳥くらいになる、夏におすすめの飲み方。さ、出発しよ。
ちなみに飲んでいる間、「キスが冷たいよ~♪」が脳内でエンドレス。(90年代ならわかるはず)なつかしい。
ここから母校への最短ルート (暑いし、母校のあとは住んでいた家と八王子まで行くから体力を残さないと) を Google マップをチラチラ見て道を確認しながら走る。
愛宕北通り入口にあった案内看板で、多摩ニュータウンの歴史を勉強。
この多摩モノレールは在学中はずっと建設中で、僕が卒業する間際にやっと開通したんだよね。授業もないから(それかあっても行ってなかった)通学で利用した記憶はほとんどなし。
というわけで、
けど、この中央大学・明星大学駅も、多摩モノレールができるまでの最寄り駅の多摩動物公園駅も、改札を出てどっちに曲がるかが人生の分かれ道、ていうネタは変わらず。
改札を出て右に曲がると中央大学。注)このネタを言ってたのは明星大の人だからね。自虐ネタ。
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十数年ぶりの母校
そして、「どうも卒業生です。当時の学生番号は〇〇C〇〇〇〇0〇〇Fです。久しぶりにきたので見学させてください。」
そういえば、アニメ「落第騎士の英雄譚」の舞台って中央大学多摩キャンパスだよね。ところどころ見覚えがある背景があった。この正門からキャンパスへの上り坂は、最終話で主人公がぼろぼろの姿で決戦に向かうが、この坂でヒロインや友達が主人公を待っている、という画があった。
あれだな、ファンにとっては「聖地」というやつだ。
あと在学中にドラマ「ひとつ屋根の下」のロケで同じく多摩キャンパスを使っていた。残念ながら撮影現場は見れなかったけど。大路恵美が来てるっとか、騒いでたな。
中大が誇る学食は工事中でヒルトップには入れず。今はどんなのが入っているんだろう。僕の時は4Fのシダックスはまずくて空いていたから、割とそこでたむろってた。
個人的には3Fの中華と4Fのおろしとんかつが好きでよく行っていたかな。卒業後にはマックが入ったと聞いたこともあるけど、工事中で現在をうかがい知れず残念。
高校時代は陸上部に所属していた。受験するときの正月の箱根駅伝で優勝したのが中央大学だった。中継所でタスキをつないで倒れこむ選手をタオルで受け止めている画をテレビで見て、自分もそれでテレビに映りたいと思ったのが、中大受験の動機の一つ。(しょーもなー)
なんで、選手じゃないのかって?
長距離苦手だもん (専門は跳躍)
ジャンプ力があったんだけど、当時スラダンで爆発的人気のバスケはミーハーすぎて嫌だったし、バレーボールも別に好きじゃない。中学は野球をやっていてチーム競技から個人競技をやりたかったのと、近所の知ってる先輩もいたから、高校では陸上部に入った。
最初は走高跳だったんだけど、猫背だからか背面飛びができなかった(涙)。そして三段跳びへ転向した。
つまり、走る距離は一番短かった。 (助走)
それが何の因果か、今じゃめっちゃ長い距離を好んで走るっていう・・・。人生分からんね。
ついでにここで中大への進学理由を。当時はもうバブル崩壊して氷河期時代。いい大学をでれば、という風潮も強かった。僕自身お金持ちになりたいってのもあったから、最初興味のあった心理学から実学系へ。そして稼げそうな資格を調べていったら、三大難関資格の医師・弁護士・公認会計士を知った。公認会計士・・・。
金の亡者の俺に相応しい。
よし公認会計士を目指そう、となると合格者実績が高く、経理研という大学内のダブルスクールがありサポートも手厚そうな中央大学がヒット。商学部ならほぼ安全圏だった。そして決め手は・・・。
おらぁ、東京さ行ぎてぇだ!(東京都だけど多摩の山の中じゃねえか)
と色々思い出は尽きないけど、日も暮れかけてきたので母校を後にして、最初に住んだ豊田へ向かうことにした。
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住んでいたマンションへ向かう
自然に囲まれたキャンパス周辺は変わらず、草木が生い茂っていた(ホンマにここは東京か?)
第2弾があれば、その時は高幡方面へ行ってみよう。
そして昔マッポに原チャが一斉検挙された奥山橋交差点に辿り着いた。当時は何か検問でもやっているのかなあ?と豊田方面へ右折しようと右車線の中央寄りに寄って、右折したら「ピピピ」って路肩に招き呼び寄せられ、切符切られました。
理由は2段階右折違反。
は!?おま、もっとやることあるだろ(怒)!?
と今では思うものの、上京したての純朴青少年は自分の過ちを反省した(と思う)。
みんな、気を付けろー(今はどんなかよく知らないけど)
豊田駅に近づくにつれ、甘酸っぱいあのポイントに近づいてきた。
電話でよく話していたクラスメイト♀がバスで僕の家に遊びに来た。その見送り途中、本来は豊田駅からバスに乗ればいいのに、盛り上がっていた僕たち二人は別れることが惜しまれだべりながら先のバス停へ目指す途中、この辺りで付き合うことになったのだ。
ああああああああ!
ぐうぅぅぅぅぅぅぅ!
いろんな思いが錯綜する。くそ、彼女との思い出は悔恨の念が強い。機会があれば改めて(僕の恋バナなんて興味ないと思うけど)。
上京して最初に住んだのは日野市日野台。最寄り駅はJR中央線の豊田駅になる。駅から1.5㎞くらい、徒歩20分くらいのところにあるマンションへ行く前に駅周辺も散策してみる。
初日は雨だったんだろう、原チャで行かずに自転車で駅まで行きバスに乗ったのだと思う。田舎じゃぁ駅前に自転車を止めてもレッカーなんてされないが、都会は厳しいのね。一掃されていた。
引っ越し後の片付けで残っていた母親に取りに行ってもらい、タクシーのトランクにぶっこんで帰ってきたという、大変悪いことをした。
豊田駅北口駅前は多少変わった程度だけど、豊田駅前交差点まで行くともう昔の面影はなかった。イオンができて開けていた!
最初のアルバイトはファミマで夜勤のアルバイト。0時~8時で時給900円くらいだったかな。当時は篠原涼子の「あなたのコンビニ♪ファミリーマート♪」のジングルで、男は緑のエプロン、女は赤っぽいオレンジのエプロンの時代。
今思えば、なんで夜勤のコンビニにしてしまったんだろう(後悔)。学業との両立ができずに公認会計士をあきらめてしまうことに。バイト終わりに授業に行っても寝落ちしてた。最終的には寝に行ってたw。
しかも店長に信頼というか期待されちゃってやめようにもやめられず(自分マジメなんで)、そして週4とか入ってバイト代稼いじゃって、目先のお金に目が眩んでしまった。
学生諸君、夜勤はダメだ(教訓)しかも夜勤は1人だったので出会いもなかった。
卒業間近にこのバイトしてたコンビニ行ったら、ちょうど店長がいて当時の話を。雑誌の返品する日って決まっていて(月曜発売のジャンプだったら木曜に撤去・返品)、そのスケジュールを覚えて、返品リストなしで事前に撤去していくのは僕ぐらいだったといわれた話は覚えてる。根は真面目だからね。冬はあかぎれになりながら揚げ物什器の洗いものもしていた。痛かった。
まぁ、公認会計士は経営者に使われるから、ほんとに稼ぎたいとかなら経営者かなぁと走りながら当時の家に向かう痛い中年ダメリーマンであった。
駅から1.5㎞、徒歩で約20分というなんでこんな遠い場所に住んだんだろう。案の定、契約更新の前に引っ越してしまった。
思えば大学の斡旋会場でいくつかアパート・マンションを両親と内見に行ったけど、ピンとくる物件がなく、父親と喧嘩してしまう始末。最終的に母親がオートロックだから安心するという親心を尊重してこの日野台の物件になった記憶。しかし、今にして思えば狭くて遠いゆえに家賃が5万弱(4.5~4.8万くらい)と安かったからじゃね?とも思う。
4階建てのオートロックマンション。多分各戸ワンルームか1kで狭い。洗濯機は置けないのでコインランドリーが備え付け。
調べたら116戸あるらしい。満室としても結構な回転率。確かに洗濯しようと思っても空いてなくタイミングが大事だった記憶。女子大生も確か住んでいたけど、下着とか大丈夫だったんかなぁ。ちなみにコインランドリーでの出会いも残念ながらなかった。
老夫婦が管理人として常駐みたいな感じだった。感じの良い世話好きな方だった。オートロックに安心した田舎者の小生は鍵をかけずに出かけることもしばしば。うちの親がお米とか管理人さんに送ったことがあったのかな。お礼かおすそわけかお届け物かで僕の部屋にピンポン♪をしたけど出なかった。留守かなと思ってドアノブを回したら、鍵がかかってない。ドアを開けて部屋をのぞくと留守だった。ちゃんと鍵かけなよって・・・・・。
ドアノブ回して、中のぞく?
まぁ大事なお子さんを親御さんから預かってる的なところもあったかもしれない。面倒見がよくて助かったこともある。
ユニットバスだったんだけど、定期的に排水溝から髪の毛など掃除することを知らず、ある日バスタブにお湯を張って入浴し、お湯を抜いたところ・・・、下の階に水漏れを起こした。下の階の人が管理人さんに言ったのだろう。管理人さんが僕のところへやってきて水漏れの件を伝えてきた。で管理人さんが下の階の人に言っておくから、ということで丸く収めてくれた。(今思えば自分からも謝罪へ出向くべきとは思うが若かったな)
マンションの前にあったマイバスで購入したコーラを飲みながら、懐かしさに思いを馳せながらマンションの裏手に回ることにした。
間取りはワンルーム。ユニットバスに電気コンロが一口の狭いキッチン。自炊するから料理がしづらかった。4.5畳くらいで狭かった。実家から机やベッドを持ってきたけど狭くて結局持って帰ったくらい。ベッドは撤去したから布団なんだけど、起きた都度たたむのが面倒なので万年床にはならなく、ずっと布団は畳んだままだったと思う。
どう寝ていたかって!?床はカーペットだったから冬は寝袋、夏はカーペットに直で寝るというインドア・サバイバル。ある日、いつも寝る位置と違う位置で寝たら、腕がところどころ凄く赤く丸く腫れて、ものすごく痒くなった。ダニだ。日頃掃除機なんてかけていなかったから。クスリを撒いて掃除機をかけたら再発はしなくなった。
カーペットや畳に直に寝るなら掃除機をかけよう(教訓)
前述の初めての彼女になったクラスメイト。もちろんこの部屋にも来た。彼女自身、男の部屋に一人で遊びに来るってことはその気はあったのかもしれないけど、Too SHY SHY BOY(by 観月ありさ)の僕は何もできなかった。プラトニックな付き合いで満足していたのか、単に奥手だったのか(もちろん後者)。
ある日、遊びに来ると約束したのに来ない。電話しても出ない。後日、別の男と付き合うことになっていた。しかもその男もクラスメイト。
そう、NTR(orz)
しかし、彼女らは長く付き合い、結婚したそうだから、運命の人は僕でなかったと思えば。
僕の部屋は確か3階で角から2番目の部屋。角部屋と2番目の部屋はマンションの中にはなく、キーなしで出入りできる。そしてオートロックは半地下になっている1階だけで2階以上はオートロックでない。駐輪場と2階の高さを考えれば容易に侵入できる。
オートロックの意味、ないやん。
実際、僕は非常階段を下り2階からダイブ、そしてよじ登っていた。正規ルートだと回り道でめんどくさかったから。
しかし、自転車ゼロっていうのは住んでる人はいるんかいな?マンション情報を見ると今は家賃が2万円台~3万円前後だった。築は1986年。場所もあるんだろうけどこういう感じだと不動産投資だとか、サラリーマン大家さんとかはやっていはいけないと思う。
と思ったら3階の角部屋から人が出てきて、非常階段を下ってお出かけをしていったので少なくとも一人は住んでいるものと思われる。
ここの駐輪場に原チャを停めていて(タイヤロックなし)、学校へ行こうとしたら盗まれていた。たしかスクーターのDioだった。
UUURRRRYYYYYY!!誰だ、私のバイクを盗んだのはぁーーーーーーーーーーーーーーーーー!! (Dio違い)
次いで親に調達してもらったのはHONDAのTODAY。ルックスはスポーティーなDioよりクラシックな面持ちで好きだったんだけど、おんぼろで馬力なさ過ぎて、山の中にある中大に通うには非力だった。
マンションの隣はたしか都営住宅のようなマンションだったけど、今はキレイな戸建ては立ち並んでいた。時が戻るならここからやり直してもいいかな。たのむよ、ぺこぱ「時を戻そう」。
東京都立大学ができていてなんだろうと調べたら、先輩が通ってた東京都立科学技術大学含めて東京都立大など4校が2005年首都大学東京として合併し、2020年4月に東京鳥津大学に名称変更したそう。ちなみに科技大は2011年に閉学(寂)。僕自身、大学に勤めていたこともあるから、大学経営も厳しいとは思う。
住んでいたメゾンドノア日野台は八高線の北八王子駅の方が最寄り(それでも徒歩15分)。一回、鈍行で八高線で高麗川→高崎→上越線で長岡まで帰ったことがあるけど、乗り換え悪く本数少なくで、非常に時間がかかり辛かった記憶がある。ひたすらテトリスやってた。当時は乗り換え案内で検索もできず、行き当たりばったりで鈍行の旅を敢行したら失敗した。しかも年末年始だったからね。だからそのルートは1回だけ。帰りも鈍行だけど新宿まで出るルートで帰って、その方が楽だったW
八王子バイパスを通り過ぎたあたりで、後ろから「ウゥ~」(柳沢慎吾風)とサイレンが鳴り、僕を追い越し、一台の車と白バイが路肩に止まった。
「あ~、ドライバーさん、やっちまったなー」と思って車のナンバーを見ると、故郷の長岡ナンバーではないか。知ってる人だったらどうしようと思って、追い越しざまにドライバー席を覗き見ると知らない人だった。まぁ田舎から都会へ来るとやっちゃうよなぁ(前述の2段階右折など)、と思いつつ
コロナ下で流行りの他県ナンバー狩りを目の当たりにしたのだった。(白バイによる)
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エピローグ「八王子の夜へ繰り出す」
本日のランニング距離は約30Km。朝から何も食わず、途中の水分補給だけなのでさすがに腹が減った。
とりあえず稲荷湯を出てから、コンビニでSAVASプロテインを補給、そして缶ビールを飲みながら何を食おうか、八王子駅北口を散策した。
いろいろ回ってみた結果、餃子でビールを飲んだ後、八王子に来たからには「びんびん亭」で八王子ラーメンを食おう!と決めた。そしてラーメンでビンビンになったら、鎮めるにも八王子は最適(18禁)ムフフと思いながら、餃子の満州へ行ったら、もう閉店だった。20時か21時くらい。
こりゃしょうがねぇと、中華食堂一番館へ行くもこちらも営業終了。なので餃子の王将へチェックインし、餃子とビールを味わう。(王将は最近行ったんだよなぁ)
「よし、びんびん亭で八王子ラーメンを食おう!」と勇んでお店へ向かうも、営業終了。
営業終了
コロナ感染拡大防止のため、時短営業の飲食店が多いのだ。もうラーメンを食うつもりになってたから、近くで営業しているラーメン屋に入ったのだった。
八王子まで来て、横濱家系ラーメンとは・・・。
こりゃビンビンにならず、大人しく電車に乗って帰りました。なんか締まらないランニング旅だったな。
おしまい